作家:小泉今日子
小泉今日子さんが読売新聞上で書評を担当していたなんて、全く知らなかった。購読したことのある新聞は、日経/朝日/地方紙だったから。
地方紙しか購読していない今でも、日曜日には朝日新聞の書評欄は気になって時々買っているが、全くの出会う機会はなかった。
そんな私が、この本を知るきっかけは、ネット上で見かけた、確か…池内恵さんの記事で、小泉さんの”書評集”のことを書いていたからだ。
アマゾンで注文しようとしたら、なんと売り切れており、がっかりしたが、昼間、家族で出かけたショッピングモールの書店で偶然見つけた。
中身をチラ見し、いったん書棚に戻したが、やっぱり気になり、もう一度書店戻り購入したのである。
冒頭の文章、
「はじめに」
本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声をかけにくいのではないかと思ったからだった。忙しかった10代の頃、人と話をするのも億劫だっただからといって不貞腐れた態度を取る勇気もなかったし、無理して笑顔作る根性もなかった。だからテレビ局の楽屋や移動の乗り物の中ではいつも本を読ん開いていた。どうか私に話しかけないでください。そんな張り紙代わりの音だったそれでも本を1冊読み終えると心の中の森が黙々と豊かになるような感覚があった。その森をもっと豊かにしたくなって、知らない言葉や漢字を辞書で調べてノートに書き写すようにした。学校に通っている頃は勉強が大嫌いだったのに退屈な時間はそんなことをして楽しむようになった。p9
正直、本を読み出すきっかけなんて、何でもいいと思う。私も高校生3年後半まで全く本を読まなかった。
というより、新聞すら読まなかった。それがなぜか大学受験前に小説を読むようになった。勉強の少し合間に読んでいた。
きっかけは、村上春樹さんの『風の歌を聴け』だった。そして、大学に入り、4年の時に社会のことに少し興味が出て、新聞を読み始める。
しかし、全くわからなかった、というより読めなかった。。まず漢字が読めない。。例えば、今でもよく憶えているのが”懸念”や”漸進”という漢字の読みと意味。新聞読んでいても辞書が手放せない、それも漢字辞典と国語辞典の両方。なぜなら、そもそも漢字の読み方がわからないので、漢字辞典で読みを調べてから意味を調べなくてはならない。新聞1紙を読むのに2時間かかっていたのを思い出す。小泉さんと同じように、ノートに分からなかった漢字と意味を書いていた。次回出てきた時は分かるようにと。
本書にも出てくるが、映画『空中庭園』の小泉さんは、本当に良かった。
また見たくなったので、今月に見直そうと思う。
そういえば、アマゾンでも、街の書店でも売り切れていた、雑誌『MEKURU』があったので立ち読みした。あるページで、タバコを吸っている写真があった。『空中庭園』でもタバコ吸っててカッコ良かったな。
まだまだ途中だが、少しずつゆっくり読んでいこうと思う。